のら松の旅日記(ブログ版)

鉄道・登山・県道標識収集の総合旅行記

【企画】那須野が原の低山、一日にいくつ登れるか?

栃木県北部に広がる広大な扇状地那須野が原

この一帯には小さな独立峰が点在しています。

今回はこれらの低山を一日で一気に巡り、いくつ登れるかを試す企画です。

地理院地図に記載のある山を対象とした。

※低山でも山脈に属する山(例:御亭山)は対象としない。

※厳密には那須野が原の定義から外れている場所の山にも登っています。ご了承ください。

 

【1山目】富士山(214m)

 大田原市街地南部にある山。山というより丘。

南側の住宅地から入ると高低差ほぼゼロで登頂できる。

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今回は西側から入る。地形図からもわかるように、ぐるっと一周するように道があり、散歩をしている方がいた。

 

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全く山頂感のない山頂。

栃木の山紀行の山名板がなければ通り過ぎてしまいそうだ。

散歩気分で1山目制覇。まだ準備運動にもならない。

 

【2山目】常盤が丘(245m)

 那須野が原開拓に大きく貢献した、印南丈作ら5名の墓所がある史跡となっている。

東側の道路沿いに駐車場があり、そこからは公園のような道が続く。

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林の中に入ると5名の墓に到着。南西側の長延寺からはここまでまっすぐ上ってくることができる。

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お墓の裏が山頂のようだ。道はなく、薄い藪の中が山頂となる。山名板はなかった。

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ようやく準備運動は終わった。これからが本番だ。 

 

【3山目】二つ室岳(250.3m)

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※地図は常盤が丘を参照。

常盤が丘から道を挟んで向かいにある小さな山。上の写真でも右奥に常盤が丘が見えている。

ここが最初の難関で、まともな登山道はない藪山である。

まずは周りをぐるりと回って取り付き口を探る。北東側(上写真右側)からでも登れそうだがもう少し楽なルートはないだろうか。

よく見ると頂上付近に鉄塔が見える。鉄塔があるということは必ず管理するための道がある。それを探そう。

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管理道はあるにはあったが、南西側の住宅の脇を無理やり通るようになっていて、ちょっと入りづらい。ここから入る勇気がなければ北東側から取り付いたほうがよさそうだ。

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鉄塔に到着。JRの送電線であった。

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鉄塔の脇にはすぐ山頂が見えた。藪の中の小ピークだが達成感はなかなかのものだ。

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こんなところではあるが、堂々の二等三角点だ。もう少し見晴らしのいい場所があったんじゃないかとも思ってしまう。

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しかし、小さな藪山なのに「岳」の名がつくとは大層な名前の山である。

 

【4山目】烏ヶ森(297m)

栃木では珍しく「森」の名がつく山。山全てが烏ヶ森公園として整備されている。

以前にも音連れたことあるので、今回は最短ルートの東参道からさくっと登る。

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烏森神社に到着。源頼朝那須野巻狩の際、ここを展望所として総指揮を執ったと言われるほか、那須野開拓の発起人、印南丈作らの熱意ある要請に応え、この丘上から那須野が原を視察し、開拓の成功を約束したと言われる。また、那須疎水開削の起工式が神前で行われるなど、何かと那須野が原に深い縁をもつ神社である。

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裏手にある烏ヶ森稲荷神社が最高地点となる。

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【5山目】赤田山

 烏ヶ森の北西に位置する。ふもとの母智丘(もちお)神社社務所前に車を停め、目の前の参道を歩いていく。

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鬼県令として有名な三島通庸が栃木県令だったころ、当時は木々の少なかった赤田山から周辺を見渡し、那須野が原開拓の構想を練ったという。開拓事業が着手されると、この山の周辺に入植者が集まった。

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赤田山山頂にある母智丘神社は、三島が薩摩藩の地頭として都城(宮崎県)に赴任していたころに建立した、母智丘神社から勧請したものである。

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山頂は母智丘神社の裏側にある。頂上には配水池の跡地もある。

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ここには山名板と三角点があった。

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赤田山には参道のほかに、山を一周するようにつけられた散策路もあり、帰りはそちらから下った。

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【6山目】権現山(285m)

 ふもとにはアジア学院那須セミナーハウスがある。

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アジア学院に挟まれるように温泉神社の参道が延びる。これを登りきれば温泉神社のある権現山山頂だ。山名板はなかった。

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【7山目】稲荷山(298.3m)

那須野公園の中にある一等三角点峰。公園は以前訪れたことがあるので(スイセンの時期がおすすめ)、今回はあえて南側の金乗院から登った。

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金乗院の裏手に上がってみると、公園に続く道を発見。いつの間にか公園の中に入っており、稲荷山山頂に到着。ここも平らな山頂であるため、うっかり通り過ぎないように注意。

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【8山目】戸屋山

 本日2つ目の難関。藪山かつ山頂が平らで、三角点がどこにあるか分かりにくい。

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西側の狭い道からアプローチする。

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藪の薄そうなこの地点から取り付く。

これがビンゴで、しばらくは竹の間の踏み後を進む。

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 やがて踏み後はなくなり、目の前に壁のように急勾配が立ちはだかるが、このくらい登れなければ登山はやってられない。一気に突破した。

すると平らな山頂一角に出る。一面竹の海で、三角点はすぐ近くのはずだがなかなか見つからない。

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やっと三角点発見!藪の中だと本当に目の前にくるまで気づかないものだ。藪の中ながら立派な二等三角点だ。
下りは檜の植林地の中を適当に下った。

 

【9山目】御富士山(497.2m)

りんどう湖の西側にある孤立峰。

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路肩に車を停め、整備された登山道を登る。この辺りから膝が痛くなり始めた。低山とはいえ9山も登ったらさすがに膝に来てしまったようだ。少々なめていた。

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 5分ほどで二等三角点のある山頂に到着。

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また、富士山の名を冠するだけあって、コンディションが良ければ本家富士山を望むこともできるようだ。この日は霞がかかって見えなかった。普通の遊歩道の案内板のように「富士山 219km」と書かれているのがユニークだ。

 

【10山目】成功山(273.7m)

 前から気になっていた、不思議な名前の山。

那須野が原の開拓に尽力した華族の一人である鍋島侯爵は、広大な土地を鍋掛村に寄付し、その一部を公園化したものが成功山である(ここでいう成功山は三角点ピークの西側の小ピークである)。

那須野が原の開拓に成功したことを祝しての命名なのだろうか。

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北側の別荘地の一角に車を停める。山頂まではすぐのはずだ。

わずかな高低差から高いところを目指して樹林地を進むと…

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三角点を発見!山名板もあった。これで10山の大台に乗った。

 

【11山目】上野山(220m)

 成功山から大きく南下し、道の駅那須与一の郷の南西側にある上野山へ。

本日最後の難関となる(藪山的な意味でも膝へのダメージ的な意味でも)。

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アプローチを慎重に探す。南側は私有地で入れそうにない。北東側のお墓の脇から藪山に突入した。

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藪を突破すると、一面が開ける。かつては畑だったか?しかし藪がなくても足元は分厚い枯草で不安定であり、膝は悲鳴を上げた。

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再び藪の中に入ると山頂だ。山名板も何もなく、虚無の山頂である。

帰りは痛む膝を引きずりながらなんとか下山した。

 

【12山目】将軍塚

 最後に訪れたのは将軍塚。ここも丘のような山である。公園のように遊歩道が整備されており、膝に優しい。最後の力を振り絞って登りきった。

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征夷大将軍坂上田村麻呂が東征のみぎり、最後の戦の準備をするべくここに宿営し、見張りと本陣を立てたと伝えられている。

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これにて、最後はボロボロとなったものの、1日に12山を登頂するという記録を樹立することができた。

 

狙ったわけではないが、図らずも那須野が原開拓の歴史をたどる山行となった。小さな山でも名前があるのはやはりそれだけの歴史や信仰があるということなのだろう。

今後も(膝が治り次第)低山巡りは実施していきたいと思う。